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東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)35号 判決 1983年2月16日

原告

東レ株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和54年12月21日に同庁昭和51年審判第10720号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2当事者の主張

1  原告主張の請求の原因

(1)  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和45年12月28日、名称を「耐溶融性合成繊維」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をしたところ、昭和48年9月11日出願公告されたが、訴外ユニチカ株式会社らから特許異議の申立があつた。そこで、原告は、昭和49年5月20日付で特許法第64条第1項の規定に基づく手続補正書を被告に提出したが、審査の結果昭和51年7月21日付で上記手続補正書における手続補正は却下すべきものとするとの決定があり、同日付で本件特許出願は拒絶査定され、その謄本は、同年9月14日原告に送達された。原告は、これに対し同年10月14日審判の請求をし、昭和51年審判第10720号事件として審理されたが、昭和54年12月21日、「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、昭和55年1月23日原告に送達された。

(2)  本願発明の要旨(前記手続補正後のもの)

合成繊維の表層部に厚さ0.05~10ミクロンの範囲にわたつて、含窒素量にして繊維重量の0.2~20%に相当する下記一般式で示される含窒素化合物を架橋してなる耐熱性皮膜で均一に繊維表面が被覆されてなる耐溶融性合成繊維。

ここで

R0:-H,-OH,-C6H5

-Cn1H2n1+1(n1=1~10)

-COOCn2H2n2+1(n2=1~20)

-CONR5R6,-NR5R6

R1~R6:-H,-OH,-OCn3H2n3+1

-CH2OCn3H2n3+1

-CH2OOCn3H2n3+1(n3=1~20)

-CH2OH,-CH2CH2OH,-CONH2

-CONHCH2OH,

X:C2H4,C3H6,C4H8(n4=1~1500)

R7:-H,-CH3,-C2H5,-C3H7

(3)  審決の理由

本願発明の要旨は、出願公告された明細書の記載からみて特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。

「合成繊維の表層部に厚さ0.05~10ミクロンの範囲にわたつて、含窒素量にして繊維重量の0.2~20%に相当する含窒素化合物が架橋してなる耐熱性皮膜を形成せしめてなる耐溶融性合成繊維」

出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達後にした補正を原審で却下したことは、後記の理由によつて妥当であるので、本願発明の要旨を上記のとおり認定した。

これに対し、特公昭和44-25399号公報(以下「引用例」という。)には、メラミン樹脂で硬仕上げし、表面にメラミン樹脂フイルムを形成したポリエステル繊維が記載されている。

そこで、本願発明と引用例記載の発明とを対比すると、両者は、合成繊維の表面部に含窒素化合物の膜を形成した合成繊維である点で一致し、前者が、①形成した膜が架橋してなる耐熱性皮膜であり、かつこの皮膜の形成された合成繊維が耐溶融性合成繊維であると表示した点、および②皮膜の厚さが0.05~10ミクロンの範囲、含窒素量が繊維重量の0.2~20%に相当すると限定した点で、後者と相違する。

よつて、上記相違点①および②を検討する。

まず、相違点①について検討すると、前記のとおり引用例記載のメラミン樹脂フイルムは、硬仕上げによつて形成されたものであるから、ポリエステル繊維を被覆しているものと解される。そしてこのフイルムは、メラミン樹脂という周知の熱硬化性樹脂で、かつキユアリング――硬仕上においてはキユアリングするのが常法である――したものであるから、耐熱性が付与された架橋フイルムといえる。しかも、このフイルムで被覆されたポリエステル繊維は、引用例に記載されているように「炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防げる」と、耐溶融性を有する合成繊維である。してみると、このフイルムは、本願発明の皮膜と同じ効果を奏しているものと解することができ、したがつて、相違点①は、引用例に記載された技術的事項から当業者が容易に想到することができたものと認める。

次に、相違点②について検討すると、相違点①で検討したように、引用例記載のポリエステル繊維は、含窒素化合物が繊維の表面にフイルム状で被覆した耐溶融性合成繊維であるから、そのフイルムを形成する含窒素化合物の量は、耐溶融性を保持するに足る量であつて、その厚さはフイルムという概念で捉えられる厚さであるものと解される。

ひるがえつて、前記相違点②について本願の明細書の記載をみるも、その数値範囲に前記引用例記載のポリエステル繊維という合成繊維が有する特性と同効の耐溶融性を保持するための含窒素量と厚さを決定したとの意味が窺われるのみで、他に格別の意味が認められない。

してみると、前記相違点②は、引用例に記載された技術的事項に基づいて当業者が容易に想到しうることという外はない。

したがつて、本願発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められ、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

なお、原審において出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達があつた後にした手続補正について補正却下の決定をしているので、以下に検討する。

上記手続補正は、前記特許請求の範囲の含窒素化合物を前項末尾記載の一般式で表わされる含窒素化合物に、また「耐熱性皮膜を形成せしめる」を「耐熱性皮膜で均一に繊維表面が被覆され」に減縮することをその主たる目的とするものと認める。

ところが、上記一般式で表わされる含窒素化合物は、引用例に記載されているメラミン樹脂に該当するものであり、また耐熱性皮膜を均一に繊維表面に被覆する点に、本願明細書の記載をみても格別の効果が認められない。

したがつて、上記手続補正によつて補正されたとしても補正後の発明は、先に検討した際の説示と同じ理由によつて引用例の記載から当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、上記手続補正は、特許法第64条の規定に違反するものであつて、同法第54条第1項の規定により却下すべきものとした原審の決定は妥当なものである。

(4)  審決を取消すべき事由

審決は、本願発明の要旨を誤認した点に違法がある。すなわち、審決は、出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達後にされた昭和49年5月20日付手続補正書(甲第2号証の2)による手続補正によつて補正された明細書の特許請求の範囲に記載された事項により構成される発明(以下「補正発明」という。)は引用例(甲第3号証)の記載のものから容易に発明をすることができたものであるから、上記手続補正は、特許法第64条の規定に違反するものと判断しているが、これは、後記のとおり、(1) 引用例に記載された技術的事項の認定の誤り及び(2) 補正発明についての進歩性判断の誤りに基づくものであつて、引用例との関係においては、補正発明は、特許出願の際独立して特許を受けることができたものであるから、審決の上記判断は誤りで、本願発明の要旨は、上記補正された明細書の記載に基づいて認定されなければならないところ、審決は、本願発明の要旨を補正前の明細書の記載に基づいて認定したものであるから、審決は、本願発明の要旨を誤認したものであり、それは、審決の結論に影響を及ぼすべきものであるから、審決はこれを取り消すべきものである。

1 引用例に記載された技術的事項の認定の誤り。

審決は、引用例記載のポリエステル繊維は耐溶融性を有すると認定したが、これは誤りである。該繊維は耐溶融性を具備しておらず、単に溶融したポリエステルの落下を防止する機能を持つにすぎない。

引用例は、「繊維表面に形成されたメラミン樹脂のフイルムが、炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防ぐ」と簡単に述べるだけで、溶融と落下を表現上区別していない(甲第3号証第2欄第3ないし第5行)。しかしながら、上記記載は、同号証の「硬仕上すると非常に燃えやすくなる」(同欄第1ないし第2行)という記載からみると、「溶融は防止しえないものの、溶融物の落下は防げる」の意に解すべきである。すなわち、引用例に記載のポリエステル繊維は、耐溶融性を有せず、加熱されるとまず溶融が先行するのである。このように該繊維が溶融しやすい理由は、メラミン樹脂フイルムが繊維表面を均一に被覆しておらず、各所にポリエステルが露出していることにある。該露出面にタバコなどの熱源を接触させると、該部がメラミン樹脂処理を欠く場合と同様に溶融するのは当然である。上記の事実は、実験的にも確認されているところである(甲第2号証の2第1頁第15ないし第19行及び第2頁第9ないし第11行)。

2 補正発明についての進歩性判断の誤り。

審決において、補正発明を引用例の発明と比較した際の相違点として指摘されたのは後記の四点である。

① 形成した膜が架橋してなる耐熱性皮膜であり、かつこの皮膜の形成された合成繊維が耐溶融性合成繊維であると表示した点

② 皮膜の厚さが0.05~10ミクロンの範囲、含窒素量が繊維重量の0.2~20%に相当すると限定した点

③ 含窒素化合物を前記の特定の一般式で表わされる含窒素化合物に減縮した点

④ 耐熱性皮膜を均一に繊維表面を被覆するものに減縮した点

相違点①について、審決は、まず引用例の発明のポリエステル繊維が耐溶融性であると認定した。これが誤りであることは、前記1において明らかにしたとおりである。これに対して補正発明の合成繊維は、450度の熱板に20秒接触しても開孔しない(甲第2号証の1第6欄第5ないし第8行)のであるから、両発明は、耐溶融性の有無という基本的な点で全く様相を異にしている。

相違点②についても、審決は、上記の誤認を冒したがために、同効の耐溶融性を保持するための含窒素量と厚さを決定したにすぎないとした。しかしながら、引用例におけるメラミン樹脂加工は、審決も認めるように「硬仕上」のためのもので、「柔軟な風合を要求される用途には使えない」(甲第3号証第2欄第10ないし第11行)のである。これに対し、補正発明における皮膜の厚さは十分薄く、繊維に粗硬感を与えることがない(甲第2号証の1第4欄第34行)。また、含窒素量の規定も、繊維に耐溶融効果を付与するに足る量を示した点において、その意義がある(同号証第3欄第23ないし第30行)。引用例のごとく、ポリエステルが露出しているときには、含窒素量をいかに規定しようとも、そもそも耐溶融効果は出ないのである。

相違点③に関する審決の判断については、争わない。

相違点④について、審決が「本願明細書の記載をみても格別の効果が認められない。」と認定したのは、不当である。硬仕上げを旨とする引用例におけるメラミン樹脂フイルムが不均一に付着したポリエステル繊維は、易溶融性でかつ粗硬であるのに対し、補正発明における均一耐熱性皮膜を有する繊維は、露出面がないために耐溶融性であり、かつ皮膜が薄いために柔軟である。

上記のとおり、補正発明は、引用例記載の技術的事項と対比したとき、①ないし④の点について構成を異にし、該差異に基づいて、耐溶融性を有しながら柔軟な合成繊維を提供するものである。よつて、補正発明は、引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、特許法第29条第2項の規定に該当しない。

2  請求の原因に対する被告の認否及び主張

(1)  請求の原因1及び3の各事実は認める。

(2)  同2に記載されたものが本願発明の要旨であること及び審決を取り消すべきであるとする同4の主張は争う。審決の認定、判断は正当で、審決にはこれを取り消すべき違法の点はない。

(3)  原告主張の審決取消事由は、後記のとおりいずれも理由がない。

1 引用例に記載された技術的事項の認定の誤りの主張に対して。

審決が、引用例記載のポリエステル繊維は耐溶融性を有すると認定したことに誤りはない。引用例記載の「・・・炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防ぐ」とは、字句どおり溶融落下が防がれると解すべきである。

引用例には、「繊維表面に形成されたメラミン樹脂のフイルム」(第2欄第3ないし第4行)との記載があるが、この記載をもつて、メラミン樹脂のフイルムが各所において欠除し、繊維自体が表面に露出されるように繊維表面にメラミン樹脂のフイルムが形成されたと解することは、常識的にみて困難である。この記載は、繊維表面全体に、メラミン樹脂のフイルムが形成されていると解するのが妥当である。

もつとも、ポリエステル繊維は、その溶融温度(約260℃)以上に加熱されれば溶融することはいうまでもないことであるが、ポリエステル繊維の表面に該温度で溶融しない皮膜が形成されておれば、その皮膜によつて溶融物が保持され、落下が防げるのは当然のことである。引用例記載のメラミン樹脂は、上記ポリエステル繊維の溶融温度で分解もまた溶融もしない樹脂であるから、このメラミン樹脂のフイルムで覆われた引用例記載のポリエステル繊維は上記の温度で溶融しない繊維、すなわち被覆材料であるメラミン樹脂によつて繊維形態が保持され落下することのない繊維といえる。引用例の「溶融落下を防ぐ」とは、このことを述べているものである。

耐熱性樹脂であるメラミン樹脂で被覆された繊維であつても、一旦燃焼が始まれば、繊維は溶融し続け、燃焼が継続しまたメラミン樹脂もたとえ耐熱性があるからといつても、該メラミン樹脂の分解温度以上になれば分解するのも当然である。引用例において、「溶融落下を防ぐためもえやすくなるのである。」と記載しているのは、このことを意味しているものと考えられ、この記載が、引用例のメラミン樹脂のフイルムが各所において欠除しており、繊維自体の表面が露出しているとの証左にはなりえない。

2 補正発明についての進歩性判断の誤りの主張に対して。

引用例のメラミン樹脂のフイルムで被覆されたポリエステル繊維が、本願発明のものと同様に耐溶融性を有することは、前記のとおりである。

メラミン樹脂は、加熱硬化されれば、硬質の樹脂に転化することは明らかであるから、これで被覆された繊維は、もとの繊維に比べより硬質になることは当然のことである。このような硬質化するメラミン樹脂で被覆された繊維の柔軟性をどの程度に保持するかは、その被覆層の厚さできまることである。被覆の厚さを薄くすればするほど繊維の柔軟性は保持され、反面、厚くすればするほど硬質化することは自明である。そして、引用例の繊維は、上記1で述べたように、本願発明の繊維と同様に耐溶融性であり、それを保持させる範囲で、被覆せるメラミン樹脂の厚さ、量(含窒素量の規定は、被覆せるメラミン樹脂の量に対応する。)が用いられることは明らかである。繊維の柔軟性を保持させようとすれば、メラミン樹脂の被覆の厚さを薄くすればよく、本願発明で規定する範囲を選定することに進歩性はない。

原告は、引用例におけるポリエステル繊維が、メラミン樹脂フイルムが不均一に付着したものであり、易溶融性かつ粗硬であることを前提として、補正発明における均一に耐熱性皮膜を有する繊維は効果がある旨主張するが、上記1で述べたとおり、引用例のポリエステル繊維が、不均一なメラミン樹脂フイルムの皮膜を有しているということはできないのであるから、原告のかかる主張は前提を誤まつており、失当である。

第3証拠関係

訴訟記録中の証拠目録欄記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

1  原告主張の原因1及び3の事実(特許庁における手続の経緯及び審決の理由)については、当事者間に争いがない。

2  そこで、審決取消事由の存否について検討する。

(1)  成立に争いのない甲第2号証の2によれば、本願発明の明細書における前記手続補正後の特許請求の範囲の記載は、「合成織維の表層部に厚さ0.05~10ミクロンの範囲にわたつて、含窒素量にして繊維重量の0.2~20%に相当する下記一般式で示される含窒素化合物を架橋してなる耐熱性皮膜で均一に繊維表面が被覆されてなる耐溶融性合成繊維。」と認められるところ、上記記載と本件口頭弁論の全趣旨によれば、補正発明における耐溶融性合成繊維においては、繊維表面全面が耐熱性皮膜で均一に被覆されているものと認められる。

一方、成立に争いのない甲第3号証によれば、引用例には、ポリエステル繊維の難燃処理に関する技術が記載されており、審決が「引用例にはメラミン樹脂で硬仕上げし、表面にメラミン樹脂フイルムを形成したポリエステル繊維が記載されている。」と認定した部分に対応するものとして「ポリエステル繊維はメラミン樹脂加工などで硬仕上すると非常に燃えやすくなることが知られている。これは繊維表面に形成されたメラミン樹脂のフイルムが、炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防ぐためもえやすくなるのである。このような現象はメラミン樹脂に限らず一般に繊維表面に硬いフイルムを、形成するような樹脂に共通である。」旨の記載があることが認められる(同号証第2欄第1ないし第8行)。

ところで、引用例の上記の記載部分は、ポリエステル繊維の難燃処理に関連して記載されたものであるから。それがポリエステル繊維を硬仕上した場合における欠点を示しているものであり、また、上記記載のうちの「炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防ぐ」の部分が、上記の欠点である非常に燃えやすくなる現象の理由を示したものであることは明らかである。そうすると、引用例の上記の記載部分は、ポリエステル繊維を硬仕上して繊維表面にメラミン樹脂フイルムが形成されることは耐燃性の点では好ましくないことを示唆しているものといえる。

したがつて、引用例の上記の記載部分をみれば、当業者はポリエステル繊維を硬仕上する場合には、それを難燃性にするために、樹脂フイルムの形成はなるべくならば繊維表面全面にわたつて行なわれないようにしようと考えるのが自然である。

しかも、前記甲第3号証によれば、引用例には耐溶融性合成繊維を得ることを目的とすることについては何らの記載もないことが認められるから、引用例の上記の記載部分の技術から耐溶融性合成繊維を得ることを目的として繊維表面全面に樹脂皮膜を形成することが容易に想到しうるとは、到底いうことができない。

そして、いずれもその成立に争いのない甲第2号証の1(本願発明の特許公報)及び甲第4、第6号証によれば、補正発明においては、厚さ0.05ないし~10ミクロンの範囲の耐熱性皮膜を合成繊維の表面全面にわたつて均一に形成させることによつて、粗硬感のない耐溶融性合成繊維を得られるという顕著な作用効果が奏されるものであることが認められる。

以上によれば、補正発明が引用例の記載から容易に発明することができたものとした審決の判断は誤りといわなければならない。 (2) なお、前記争いのない審決の理由によれば、審決は、引用例に記載されたポリエステル繊維について、「このフイルムで被覆されたポリエステル繊維は、引用例に記載されているように『炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防げる』と、耐溶融性を有する合成繊維である」としているが、前記のように、引用例の記載の技術は、難燃処理、すなわち燃えないポリエステル繊維を得ることを意図したものであるから、硬仕上したポリエステル繊維自体が耐溶融性になつているか否かは問題になつておらず、引用例において燃えやすいことの理由として述べられている「炎の熱によるポリエステル繊維の溶融落下を防ぐ」との記載はポリエステル繊維が約260度の温度で溶融するものであることからみると、それは、炎の熱により溶融したポリエステル繊維が、繊維表面に形成されたメラミン樹脂のフイルムによつて保持されて溶融物の落下が防止される、ということを意味しているにすぎないものとみるのが相当である。

そして繊維が難燃性であることと耐溶融性であることとは、互いに別異の性質に基づく現象であつて、相互に特定の関連性があるわけではないから、引用例に上記の記載があることを根拠に、引用例における硬仕上したポリエステル繊維が耐溶融性を有すると断定することはできず、審決の上記認定は失当といわなければならない。

(3)  ところで、被告は、引用例における「繊維表面に形成されたメラミン樹脂のフイルム」との記載によつて、繊維表面全体にメラミン樹脂のフイルムが形成されていると解するのが妥当であると主張する。

しかしながら、前記甲第4及び第6号証によれば、硬仕上においては、望まれる硬さに応じて樹脂の量も変わるものであるが、かならずしも繊維表面全面がメラミン樹脂によつて被覆されるとは限らないものと認められ、したがつて、引用例における「繊維表面に形成されたメラミン樹脂のフイルム」との記載が繊維表面全体にメラミン樹脂のフイルムが形成されていることを意味すると断定することはできず、被告の上記主張は採用できない。

(4)  以上のとおりであるから、補正発明は引用例の存在によつて出願の際独立して特許を受けることができなかつたものとすることはできず、したがつて、出願公告をすべき旨の決定の謄本送達後にされた前記手続補正は審決記載の理由で特許法第64条の規定に違反するものということはできない。

そうすると、上記手続補正前の明細書の記載に基づいて本願発明の要旨の認定をした審決は、その認定を誤つたものといわなければならず、その誤りが審決の結論に影響を及ぼすべきものであることは、以上説示したところに照して明らかであるから、審決は、違法としてこれを取り消さなければならない。

3  よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(石澤健 楠賢二 岩垂正起)

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